- COLUMN
- 日々のこと
で、あなたは誰だっけ?
先日、久しぶりに電車に乗った。
ホームで一点を見つめ肩を落としている男の子ママを見かけてフラッシュバックしたのは我が家の息子1。
ベビーカーに乗った男の子は内容はわからなかったけれど指を指して叫んでいた。
たぶん、乗りたい電車が来なかったのかなと想いを馳せる5年前。
長男は筋金入りの鉄男。(鉄道好き男子)
頑固でこだわり屋な彼は3歳を過ぎるまで電車に乗るのも一苦労であった。
この色、この形、この行き先、それしか乗りたくない。今思えば、たぶん車輪も見ていた。笑
言葉がゆっくりだったので本人も伝えられないもどかしさ、理解してもらえない悲しさからか息子も暴れまくる。
体格がよくて、無理やりその場から引き離すこともできない。
あまりにも約束の時間に遅れたり、体が冷えてしまうためチャレンジしたら鉄道員さんに止められる始末。
「ほら、お母さん言っちゃうよ。」と言ったら大体ついてくるよと度々アドバイスされたし、
先日の次男の3歳児健診でも保健師さんから確認された。
実際次男はまあまあついてくるが長男は納得するまで絶対NO。
百貨店のおもちゃ売り場で夢中になった玩具から離れられず声をかけて隠れ見守ったことがある。
わたしの時は45分。
夫の時は1時間だったらしい。
全く親を探すことも泣くこともなくのめり込み、
はっ!と状況に気がついていきなりダッシュし始めたのがその時間。
そんな彼の様々なこだわりに居合わせた人、周りからかけられた言葉や言動は当時の私には辛いものがたくさんあった。
今思えば若く自信のなさが表に出ていたのも言われてしまう原因だったのかもしれないし、
あれだけ粘って響くホームで騒いでいたらうるさいしびっくりすると思う…。
当たり前や普通と呼ばれることが彼には全く通用しない。
でもそもそも当たり前ってなんだろうという話だが、それはまた別の機会で書くとして
その当時は、
事前に乗る電車を決め、写真で確認し約束を守れたらシールを貼るなどを繰り返していた。
でも毎回出来るわけもなく、イライラしてしまうことも多々。
でもそれだけ好きなことに違いはないので良いこともたくさんあった。
数字、色、漢字、地名、地図、標識、英語(新幹線の車内アナウンスや車内テーブルの後ろについてる注意書きを読みたいがため)
たくさんたくさん興味が広がっていった。
どれも勉強しなさいと言った記憶はない。
電車から広がっていき、
東京駅の広い構内では人助けに繋がったこともあるし、危険なことも自分でわかるようになることが早かった。
それが言葉も追いつき、表面化してくるとまたそれに関して
すごいね〜と見知らぬ人から言葉がくる。
苦労話を書きたいわけでも自慢話がしたいわけでもなく、
他人が見ているのは表面的な部分だということ。
本当に何層にもなっている一番上の上の部分でしかないということ。
当時見ていた育児漫画にこんなセリフがあった。
「で、あなたは誰だっけ?」
他人にかけられる育て方に関する言葉の数々に対して関西弁で猛烈なツッコミをしていたのだが笑えて元気が出て、同時にハッとした。
そうだよね、あの人は誰だったんだろう。
何を知っているんだろう。
間違いなく母親が一番子供を気にかけている。
どんなに忙しくても離れていたって気になるという気持ちも含めて。心で見つめている。
お腹の中にまず10ヶ月も二人きりでたくさん外側から母親として心配したり見守ってきて、生まれたら日々24時間こーんなに見てるのに他人の言葉に傷つくなんて、しなくて良いんだ。
言われなくてもみんな正解がないんだから悩んでるし考えてるよ。
何かしてくれるの?あなたは誰?と
ちょっと文字にすると強めに響いてしまうが周りから毎回言われる度に心の中で思っていたら自分を責める沼には落ちなくなっていった。。
一番見ている母親(父親)がやりたいようにやればいいと私は思っている。
お母さんの笑顔を子供は本当によく見てる。
そのお母さんの笑顔がどんなことで生まれるのかも人それぞれで、時代も違う。
お互いに笑顔の交換ができていれば大丈夫だと仕事を始めて実感している。
こうあるべきだという姿や、
もし周りからの意見が気になることがあったらちょっとこんな切り替え方もあるよと思い出してくれたらいいな、と思った今日でした。
育児生活8年目に入っても、相変わらず正解は分からない。
自然に受け入れ考えられるタイミングに入ってくる言葉だけ自分の中に入れて、あとは話半分良いことは中に入れる、がここ最近の私のスタイル。
考えて試してみて合わなかったり間違っていたら息子を見ればわかる。
教えてくれる。
ものすごい言葉の数と意志を持って。
現在それがまたキツイものがあるのだが、良かれと思ってしたことでもうまくいかないことなどは大人同士でもあるし、とにかく目の前の人間と関係を築いていくしかないと思っている。
息子と私がどうであるか、が一番大切。
子供はブレずに小さな頃からずっと真っ直ぐにそうなのに
私は長い時間をかけて今そう思えている。
うーん、情けない。
助け合うことを教えながら
まだ二人と一人の修行は続いていく….
詳しいことはわからないけれど抱きしめてあげたかったな。あのお母さん。
写真は、3歳の長男。
電車を見つめる真剣な眼差し。
今も変わらない真剣な眼差し。
それだけ好きなことに
出会えてよかったな、オレ。