- COLUMN
- 日々のこと
記録すること
この育児を乗り越えたらもう何でも出来る気がしていたこの8年。
長男が生まれてからの4年、
次男が生まれてからの2年は特に思っていた。
その時間に共通すること、
それは赤ちゃんからの幼児期であることに気がつく。
可愛い。
間違いなく可愛い。
でも、思い通りにいかないことは
わかっていたはずなのに想像以上。
特に1人目は人生の「初めて」が多過ぎて
戸惑うやら悲しいやら嬉しいやら忙しかった。
自分の生活のルーティンをまるごと変えるような初めての経験って、
大人なればなるほどそれらが出来上がっていて、
結構順応していくのが大変。
眠れないってこんなに辛いの?
(授乳と夜泣き)
どれだけ忍耐の修行が続くんだろう…。
育児が仕事だとして
もしこの状況が会社だったらとっくに辞めてる。
(あ、子を持つと決めたのは自分です。
神さま。)
今も、修行中なのは変わらないけれど
とりあえず長男が一番大変な赤ちゃん〜幼児期を超えた今、仕事も小さいながらも再開して思う。
やっぱり育児以上に大変なこと、本当にない。
(まだ人生長いので今のところと付け加えておく。)
もっと仕事の規模や家庭環境が違ったら?
それを鑑みても育児ほど年中無休、24時間営業って他にあるのだろうか?
不測の事態もこれだけ同時多発的に起きる仕事も思いつかない。
だって、トイレも行けない時ある…。
このメリハリのなさ
(ガーッと働いたらしばらく休む、ができない。
自分の意思で休むことを決められない。)は
他にないと多忙夫も体験を積み上げ、経験に変わり認定済み。
環境や人間が違っても赤ちゃんから5歳くらいまでの幼児期は(落ち着くのは個人差あり)
いつまで続くんだろう。
長いなぁ。。
もっと優しいママになりたいなぁ。
ぐるぐるぐるぐる…
最後のは今でも思う。。
でも終わりが来る。
成長(年齢)でかなり解決するし
言葉で話し合えるようになってきている。
そうすると対人間の、
私たちが普段やりとりしている世界にかなり近づいてくる=幼児期のストレスは減る。
今お兄ちゃんに対する悩みは大人と変わらない人間関係の悩みそのもの。
弟は幼児期そのもので
悩みが全然違うことに気がつく。
赤ちゃん期には赤ちゃん期の、
幼児期には幼児期の、
思春期差し掛かり男子には
思春期差し掛かり男子の
それぞれ悩みがある。
だから隣の芝が青く見えたら病んでるサインだなと思うし、
悩みの内容が違うだけで、みんな共通して
相手の立場を思いやる想像力が要だと
感じている。
ただ、体と心の両方の負担が大きいのは
赤ちゃん〜幼児期だと1人過ぎた今思う。
オムツを替えて授乳するルーティン、
朝からどうやって体力発散させようか頭を悩まる日々、
公園と家、家とスーパーの往復で終わる一日。
睡眠不足で、
抱っこ紐で凝り固まった肩と腰、腕で
命を守り家を回す日々にそもそもありがとう、よくやった!それ以上の言葉はない毎日のはずだけれど
誰かにそんな風に毎日声をかけてもらえる訳でもなく
母親はこの世に1人だけという事実と
ワンオペには私が見るしかない、
倒れたら回らないという事実。
8年経って周りを見てもあまり
状況は変わらない様に思う。
(女性の体のしくみと働き方改革について、
国の制度、
話し出したらキリがないので
また…)
保育園や預けられる環境があったとしても
子供のテンションやストレス(良いことも悪いことも含めて)は預ける前後に全て一番甘えられる存在に向けられる。
保育園の手配や毎回の準備の大変さ、費用や
周りへの気遣いなどを考えたら預けてるから楽って物でもない。
それもやってみて初めて気づけたこと。
預けるストレスと預けないストレスを天秤にかけ、体力と相談しながらスケジュールを組んでいて
今も次男はそれが現在進行形な所がある。
全てがうまくいく楽な道なんてものはないのが育児だよ、と昔母に言われたけどその通り。
正解がないのだから道がそもそもない。
でも、いつまで続くんだろうと思っていたそんな命を守っていた尊くもなかなか忍耐のいる日々は今、間違いなく
心の支えである。
思春期差し掛かり男子と喧嘩した日に
忘れかけていた永遠に続く気がしていた日々の記録に救われたこと多々。
あの日々に比べたら意思疎通ができるし
喧嘩は喧嘩だとしても互いの思いを伝えあえているってこと。
クールダウンに離れることもできる。
ママママママママー!!
何回呼ぶんだ?!って育児日記に書いてあるけど
いや、なんて可愛いんだ。
と我に帰り心が落ち着き、涙が出てデトックス。笑
こんなに朝昼晩と公園に行ってたの?!
あぁ、だから今のスケジュール大丈夫なんだと身になってる感も味わえる。
辛かったことって忘れちゃうけど、そんな日々を少しでも記録しておくと後々に
自分が自分を讃えてくれる。
全てが愛おしく思える不思議。
誰かを必要とせずともそんな気持ちになれる濃い日々とその記録。
たぶん大変なら大変な分だけ、
後々自分を癒してくれるのかもしれない。
長男が時々思い出した様に、
笑って私に怒られた話をし
楽しかった思い出を話してきたりする。
その時、
そうか、怒ってばかりじゃなかったことも
私は忘れてしまってるんだよなぁと思う。
答え合わせに慣れてしまっている大人は
不安で自信がなくてアラを探してしまうのかな。
自分への励ましや癒しや
母親としての自己肯定感にも繋がる様に思うから日常の記録ってやっぱりいいなと思う。
インスタグラムの4年前の今日はこうでした、とか突然出てくる機能、あれもいいなぁ。
2人目は育児日記もなかなかつけられていないけれどインスタグラムや現代アイテムを駆使しながら出来るだけ記録として何か残そうと試みている日々、のことでした。