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お別れと、口角と
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祖母が亡くなり、
お別れをして参りました。
突然の予定変更、すみませんでした。
そしてありがとうございました。
実家を出てから20年近くになりますが、
祖母は離れている気がしない不思議な人でした。
愛されていたからだ、と思いました。
意識もしっかり、最後までスポーツ観戦を楽しんでいた祖母。
祖母が出棺する早朝、
駐車場に忘れ物を取りに実家の玄関を出たら
見送りに来てくださっているたくさんのご近所の方の数に、驚き涙が止まりませんでした。
大切な人が愛されていたと知ることが、
こんなにも嬉しいことなのだと知りました。
11月に入ってから、祖母が亡くなる前から
個人的な話になりますが喪失感が幾重にも重なって進んでいる状態でした。
泣いちゃいけないとか
元気にならないと、とか
全部やめて
自分を見つめてみたら
残った気持ちはただただ、
悲しい
でした。
そうやって
悲しみに支配されているのだと気がついた日に
それでもずっと一日中支配され続けている訳でもないな、ということにも気がつきました。
悲しいけれど毎日の中には小さな良いこともあって、祖母のことも思い出して笑ったり、
じーん、としたり。
内側は忙しく外側はぼーっとしている感じの自分。
それでいいんだよ、と自分を許すには時間が必要で、でも
目の前にはお腹空いた〜といつものように膝に寄ってくる子供がいて、それぞれに夢があり目標があり生活があり、個人がそれぞれに生きている中で自分のためだけに立ち止まることは難しく。
今回は実際に葬儀の手伝いもあったので
父と母と姉と私で過ごす何十年ぶりかの時間があり、祖母がくれたギフトだなと思いましたし
生涯忘れることのない、濃密な時間になりました。
さっと葬儀だけに参加し名古屋に帰宅していたら、その必要な時間は得られなかったので家族にとても感謝しています。
誰かを失った時に感情が
いったり来たりできることは、
とても幸せなことなのだなと思います。
葛藤が苦しいときもあるし、
色々な家族の形や関係性もあるので全ての人に当てはまるとは思いませんが。
失った悲しみ。
共に過ごした時間がある喜び。
共に大切だときっと思い合えてる信頼。
共に過ごした時間があっても
必ずしも思いあえるわけではないことも経験してみると、
きっと思い合えていると信じられることは幸せで奇跡で、今それを話し分かち合える相手がいる。
人生に本当に必要なことを教えてくれるように思いました。
この2年、写真と手紙が
コロナ禍でなかなか面会が叶わない祖母との唯一のコミュニケーションでした。
離れている中、母が様子を伝えてくれていたからこそ私は動けたし運んで様子を伝えてくれる母がいたから、続けられたし心の準備もできた。
家族のコミュニケーションってやっぱりとっても大事だなと実感できたことも良かったです。
働き者で、美しかった祖母。
口角がきゅっと上がったその顔に、
人生を見ました。
どんなに朝早い仕事の時も、遅くに帰宅した後も愚痴を聞いたことがないことに大人になってから気がつきました。
フェイシャルをしていてずっと思ってきたことですが、話す言葉で口元は作られます。
顔が作られる、といっても過言ではないかもしれない。
叱る時、注意するとき、
できるだけ自分の中に落とし込んで必要なことを淡々と話すように心がけています。
それでも怒ってるとき、疲れてるとき
ふと鏡や窓に映る自分を見てぎょっとすることが多々なので、改めて祖母を尊敬したのでした。
愛がないと、叱る、注意するはできない。
褒めるより何十倍も気を遣うそれに
ちゃんと愛が滲み出るような接し方をしたいものです。