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6月のクラスと小さなもの作りの記録 vol.3
話がしたい、とシンプルに思い
始めたものづくり。
きっかけはそれぞれだと思う。
同じ場所で足踏みしているような感覚とか
ライフステージの変化で感じる違和感とか
こうしていきたいな、と浮かんだ素直な感情を
尊重してあげたい、だけど…
だけど…の後にたくさん続いてしまう色んなあれこれが年を重ねるにつれて自分について回り増えていく。
「だけど…」を口に出して「話」にしてみると、人に会い「会話」してみると、
互いの話にヒントが隠されていたりする。
話すだけで、何か輪郭がはっきりしていく様な気もする。
そして、
「だけど…」を発動させているのは
「こうあるべき」という自分の中のべき思考(勝手に命名。笑)だったりする。
こうある「べき」が自分の中にたくさんあることに気がついたとき、
もやっとしてしまう周りからの言葉の中にも、たくさんのこうあるべき、こうするべきが含まれていることに気がついた。
そこは性格や育ってきた環境や様々な要因があるけど、両親の世代の価値観もそのまた前の価値観も、その価値観のままのしくみによるものも、多大にあって
だから、じゃあ自分はどうしたいのかをとても考えるようになった。
「べき」から離れたら私はどうしたいのか。
意外とすんなり浮かんでこない自分にもびっくりした。
考えながら過ごすうちに、
周りと言葉を交わすことで自分の中にあるものを手繰り寄せるようにそれらは生まれてくるなと感じるようになった。
それはすぐにぱっと、掴めるものではなくて
本当に少しずつ認識して手繰り寄せて
さらに試して(たぶんここがとても大切だった)
ぼんやりこんな感じかな?って柔らかく形を作っていくような…。
理想がないから、自分の理想を考え生み出すことからその作業は始まることもあるし
こんな感じかな?と集めて行った中から
理想?ともいえる心地よさを見つける時もある。
できるだけ地に足のついたリアルなこうありたいな、こうなりたいな、を実験していく様な(というか、それしかできないのだけれど)
わかりやすい言葉で表現できない不思議な感覚だった。
(過去形だけど、今もそれは現在進行形)
旅に出たり、アートや映画や、昔の日記や、
きっと言葉を交わす以外の方法も個々にあると思うのだけど
ものづくりを通して
言葉を交わしながら言葉や人から、
自分を見つけるという
自分のやり方に皆様に付き合って頂いてるような感覚でいる。
だから、申し訳ない様な、嬉しい様な…
入り混じった気持ちでものづくりやクラスでの会話を見守り、身を置かせてもらってる。
現状の、不満や文句を言い合いたいわけじゃないし
こうあるべきだと説いて押し付け合いたいわけでも無い。
政治家じゃないし、なんていうか、、
とにかく自分に精一杯。
でも、どう過ごしたいかを話すことってとても身近な未来につながることだなと思っていてそんな時間がもっと欲しかった。
物選びってどう使うのか、どんな時につけたいのか、誰にあげたいのか、
物選びで考えることは「どう過ごすのか」に結構繋がっていると思っていて。
どうやって作るのか、過程に興味を持ってもらうこともできる。
製作者同士以外でも、一つの物があることでフラットに会話ができると思った。
先日のクラスは、
「もう毎日、わたしこのまま死んじゃうんじゃ無いかなって1日の終わりに思うもの〜。笑」
という一人の女の子の言葉にみんな深く頷いていたのが印象的で。(とてもマイルドなテンションです。ご心配なく。)
それぞれホームは違うけど
ありきたりな言葉だけどそれぞれに懸命、がいつもしっくりくるクラスの会話。
自分に精一杯、の感覚がここでリンクする。
認め合う空気は素直な言葉を引き出すな、と
製作過程でも毎回のクラスでもそんなことを思う。
前回は、受注会ということもありものづくりと話をすること、が目で見える形で共存されていて一人なんとも言えない気持ちになりました。
みんな笑顔で帰ってくれて、嬉しかった。
一年の終わりに、どんな気持ちになるのかな。
自己満足全開だけど、やっぱり楽しんでくれたら嬉しいなと思う。